2012年03月25日

旧々綱島街道の話 第1回 街道の概要と起点

OTK_titol.jpg

Sorry, this content is japanese only.
This article is about the talk of following the "Kyu-Kaido"(old highway,Via)
of the Edo period in Yokohama.


私が住んでいる横浜には古い街道がいくつかあるのですが、
そのうちの綱島街道についての話があまりネットを検索しても出てこないので
調べてみました。

横浜中心部から東京都心に向かうのに、主要なルートは現在6つあります。
1つは高速湾岸線を使うルート、2つ目は首都高横羽線。
下道の国道15号線第一京浜と1号線第二京浜。
次に横浜横須賀線から第三京浜を通るルート。

最後が綱島街道です。
正式名称、東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線と言います。
品川区西五反田の国道1号線との交差点から横浜市神奈川区浦島丘の、こちらも
国道1号線との交差点を結ぶ主要地方道です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線

元来、綱島街道は稲毛道と呼ばれ
東海道神奈川宿から矢倉沢往還(大山街道、現国道246号線)溝口に至る道で
橘樹郡 稲毛領の一部 が幕府の天領であったり、この地域から良質の米を産したことから
江戸や神奈川から盛んに人が行き来しました。
おおざっぱに、神奈川宿から白幡村篠原村を通って綱島までたどり
ここで北西に進路をかえて、途中 中原街道を横切り溝口に至っていました。
この、途中の中原街道を右に折れて多摩川丸子の渡しにまで行くのが
江戸期の綱島街道と言えるでしょう。
大正時代にはこの稲毛道は県道神奈川溝ノ口線として主要幹線に指定されています。

この綱島から北は、東京横浜電鉄神奈川線(現在の東横線)に
沿った新道・県道8号神奈川上丸子線に昭和14年切り替わり、
くわえて戦後、菊名から南を尾根道を拡幅した道路に
切り替えたのが、ほぼ現在の綱島街道になっています。

昭和以前に幹線として使われていた、六角橋から綱島に至る旧道は
現在は旧綱島街道と呼ばれて、冒頭の写真ような標識が立てられています。

今回取り上げるのは、江戸期東海道が整備されたあたりの旧道で
歴史的農業環境閲覧システムhttp://habs.dc.affrc.go.jp/
の明治初期の地図を参考に現在の道路を辿って行きます。
実際にこのルートが街道として使われていたのかは確かではありませんが
歴史的農業環境閲覧システムの地図上の太めの道を
現在残っている道の曲線や接続と照らし合わせて確認しました。

初回は、街道の起点です。
これは京急神奈川駅に展示されている
東海道分間延絵図の神奈川宿の掲示を撮影して合成したものです。
OTK_kanagawajuku.jpg

東海道三番目の宿場である神奈川宿は
現在の国道15号線第一京浜の
京浜急行神奈川新町駅のあたりから
国道1号線第二京浜青木橋の西側の神奈川台まで続いていました。
そのほぼ中心に滝の川が流れていて
その東に神奈川本陣、西に青木本陣がありました。

OTK_takinogawa.jpg
滝の川      右手の高架は首都高横羽線、下が国道15号線。
         画面奥行きが川崎・東京方向です。

OTK_honjin.jpg
歩道に設置された神奈川宿案内図

神奈川本陣は、この案内板によると
現在の小野モータース付近にあったとされています。
分間延絵図によると、神奈川本陣の江戸側に追分があって
そのから稲毛道、神奈川道(小机街道)が分かれています。
現在、滝野川のすぐ北側に曲がり角がありますが
本陣跡の小野モータースはそのまた北にあって
海側に通じる道のことも考慮すると
追分は神奈川警察署前の交差点から始まっていると
考えていいと思います。
次回ここから出発します。

OTK_kanagawaoiwake.jpg
神奈川警察署前交差点

より大きな地図で 神奈川署前交差点 を表示

-第2回へつづく-

posted by 禅芝zenseava at 16:00| Comment(0) | 道路/計画道路・新道・旧道・街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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