2012年08月05日

旧々綱島街道の話 第4回 補足

Sorry, this content is japanese only.
This article is about the talk of following the "Kyu-Kaido"(old highway,Via)
of the Edo period in Yokohama.

旧々綱島街道に関するコメントがありましたら、この記事にまとめてお願いします。

□その1.区間の所要時間
ちなみに、各回のルート所要時間は
Googleマップの経路検索で概ね徒歩30分前後になっています。
逆におおよそ30分程度で各回を区切った、と言うほうが正しいかもしれません。
道が主要な道として整備されている区間だと記事は簡潔になりますし、
脇道や路地をたどる場合は長くなっています。


□その2.移動手段
綱島までは概ね東急東横線沿いですので、この旧道を辿る場合には
鉄道を頼りに出来ます。
神奈川宿へは京浜急行の神奈川駅からが一番近いですが、
JR京浜東北線の東神奈川駅、または東横線反町駅からでもそんなに遠くありません。
綱島から先は東急バス、川崎市営バスがルート上やルート近傍を走っていますので
利用できます。
私が利用したのは綱島-武蔵新城往復の東急バス”城1系統”(蟹ヶ谷、子母口住宅)と
川崎市営バスの川64系統、蟹ヶ谷-川崎往復(東急元住吉駅、子母口)です。
横浜市営地下鉄ブルーライン(高田駅)やJR南武線(武蔵中原駅)なども使いました。
東急電鉄
http://www.tokyu.co.jp/
東急バス
http://www.tokyubus.co.jp/top/index.shtml
川崎市営バス
http://www.city.kawasaki.jp/82/82syomu/home/kotumenu.htm

車を使う手もありますが、歩きながらのほうが写真が撮り易いのと、
狭く一方通行の道もありますので多少困難が伴います。
車で移動するには距離が短すぎるというのもあります。
出発点に置いて徒歩で移動した場合、出発点に戻ってこなくてはならないので、
それも面倒でした。

□その3.資料・地図
改めて参考にした地図や資料のリンクを掲載します。
歴史的農業環境閲覧システム
http://habs.dc.affrc.go.jp/
横浜市三千分一地形図
http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/3000map.html
国際日本文化研究センター(日文研)
http://www.nichibun.ac.jp/
日文研所蔵地図 地域別索引 神奈川
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/index_area14.html
歴散加藤塾
http://homepage2.nifty.com/katohjuk/

□その4.郵便局
旧道にバス停の話は前に書きましたが、
もうひとつ、郵便局も旧道沿いにあります。
小さめの局の事が多いのですが、ルートを迷ったときに頼りになることがありました。
ただ、移転したり統合したりすることも多いので
必ずしも当てはまるものばかりではありません。
白楽の六角橋郵便局の場合、現在は六角橋商店街の中にありますが
最初は小机街道にありました。
横浜篠原台局も旧々綱島街道から若干外れた場所にあります。
postoffice.jpg

□その5.蕎麦屋
蕎麦屋が案外多くあります。最近建った店もあると思いますが目につきました。
10軒ほどありましたか。
ただ、寿司屋のほうがあったかもしれません。コンビニも。
最近出来たものだとは思いますが。
sobashop.jpg

□その6.一方通行
その2にも書きましたが狭いわりに交通量が多いので、一方通行に
指定されていることがあります。
車で探索をするのには障害になりますね。
Googleのマイプレイスで、”道なりに辿る”でルートを保存しようとしても
一方通行は逆には辿ってくれないので困ります。

□その7.街道の整備/拡幅について
大正9年(1920年)に稲毛道は県道神奈川溝ノ口線として主要幹線に指定され
整備が始まりますが、
日文研所蔵地図 横濱市全圖 : 大正調査番地入(1924年)では
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_2253.html
小机街道が神奈川溝ノ口線として六角橋まで整備されたのがわかります。
大正12年1923年に関東大震災が起こり、それ以降街の復興と同時に
幹線の整備も行われたようで、東亰及横濱復興地圖(1924年)
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1314.html によると
第一第二京浜、横浜上麻生線にあたる道路が計画されているのがわかります。
おそらくこれ以降、新道路計画と同時に綱島街道の拡幅も
行われたのでは、と思われます。
今のところ、大倉山から綱島にかけての拡幅の時期がよくわかりませんが
震災の復興時期だろうと推測しています。

綱島街道に関連した年表
明治 5年1872年 東海道本線開業、同年神奈川駅開業
明治41年1908年 東海道本線東神奈川駅開業
大正 9年1920年 県道神奈川溝ノ口線として主要幹線に指定
大正12年1923年 関東大震災
大正15年1926年 東京横浜電鉄が丸子多摩川駅(現・多摩川駅)-神奈川駅間を開業
昭和 3年1928年 市電六角橋線の開通

□その8.別ルート
前々回辿った神奈川宿から白楽までの道ですが、
実は他にもルートがあると考えています。

より大きな地図で 神奈川宿-東白楽の3つのルート を表示

1)は前回辿った道とほぼ同じ滝の川沿いのルートです。
あぜ道に近い感じだったのでしょう、地図上では曖昧な描き方になっています。
白楽に近いあたりはおそらく川沿いの湿地や田んぼがあった関係で
若干山寄りに避けて通っていました。
2)はずっと手前から山沿いを行くルートで、地図の記号から
荷馬車が通行可能なしっかりした道だったはずです。
こちらのほうが普通に使われたルートの可能性があります。
3)は東海道のもっと川崎寄りの神奈川二丁目交差点から
東神奈川駅のあたりを抜けるルートです。
ここの道は仲木戸横町と呼ばれていて小さいながら
古くから賑わった通りだと思われます。
ただ街道として機能していたかどうかは不明で
かなり細い道だったと思われます。
江戸/川崎方向から来た場合は近道になります。
明治以降鉄道や市電も整備されて、
徐々にこちらがメインルートになります。

昭和3年の市電六角橋線の開通にともない付近の旧道はあとかたもなく消えています。
http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/3000-es.html
横浜市三千分一地形図の神奈川、白幡の昭和6、18年あたりの地図で
かろうじてルートが確認出来ます。
(ちなみに神奈川の昭和6の地図と昭和22年の地図の違いがわかりますか?
 数カ所あるのですが)

□その9.小机街道
神奈川宿を出発して東海道線のガードを潜り、滝の川沿いの緑道に入らず
そのまま神奈川区役所の方向に真っすぐ進むのが小机街道です。
綱島街道よりずっと昔、戦国時代以前から神奈川湊と小机、町田や八王子を結ぶ
主要道の一つとして発達した街道です。
神奈川道(恩田川北岸神奈川道)とも言われます。
大正時代は六角橋から先は神奈川日野線と呼ばれていました。

より大きな地図で 神奈川道(小机街道) を表示

概ね現在も道が生きています。
途中東横線と交差する所には東急の新太田町駅がありました。
六角橋を通り、現在の横浜上麻生線に沿った道路でいまも商店街が残っています。

実は旧々綱島街道を探す最初のころには、この小机街道の六角橋までを
旧々綱島街道のルートだと思っていました。
区役所もあって、駅もあって市電のターミナルのあった六角橋も通っているし
きっと主要街道に違いないと思っていたのです。
大正時代には県道神奈川溝ノ口線だったわけですから、あながち間違いではないのですが
六角橋から白楽に至るルートが今の商店街以外に見当たらず、
不自然な感じはずっと持っていました。
そんなとき歴史的農業環境閲覧システムの地図を見て、間違いに気がついた
というわけです。


次回は菊名駅前からの続きです。
-第5回へつづく-
posted by 禅芝zenseava at 11:18| Comment(0) | 道路/計画道路・新道・旧道・街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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