2012年12月09日

旧々綱島街道の話 第7回完 子母口-丸子の渡し間

今回は徒歩約1時間と、倍の長さのルートです。
この区間はほとんどが整備された
神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線の中原街道で、
あまり私独自の記事として特筆することがありませんでしたので
2区間分をまとめました。

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子母口住宅入口交差点の上の歩道橋から。
前回の絵では直角に曲がっているように描きましたが
西側の山裾に沿いながら曲がって、北上していきます。

すぐ近くに平行する広い幹線もありますし
一方通行ですが、バスは通るし結構交通量は多いです。

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子母口交差点で県道14号線と合流し
西側の山裾に沿って北上します。
ここがずっと辿ってきた神奈川県道106号子母口綱島線の起点です。

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500mほどで中原街道です。(千年交差点)
右折して武蔵小杉方向に向かいます。
中原街道もここから西は大部分拡幅事業が遅れていて
昔ながらの狭い区間が多く渋滞がよく発生しています。

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道路は歩道もあって右折車線を作れるほど広くなっていますが
家並の所々に昔の街道の雰囲気を残しています。
道路沿いに畑もあったりします。

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下新城交差点で過っていくのが
子母口で分かれた宮内新横浜線です。
撮影当日はデモ隊と鉢合わせしましたので
警官やパトカーがわんさかいました。

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ひたすら中原街道を歩きます。
大戸神社。

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JR南武線の高架、すぐ左に武蔵中原駅。
高架のすぐ向こうの上小田中交差点。
ここまででおおよそ30分歩きます。

中原街道は史跡の保全や案内が充実しています。
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歴史案内看板・昔の地名を埋め込んだタイル

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道祖神・泉澤寺

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小杉十字路交差点から先は急に狭くなり歩道もなくなります。
この先に有名な西明寺クランクがあって、
現在北側にショートカット道路を整備中で
旧道はそのままになっているからです。

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商店街の道路並みに狭いです。
郵便局もあってポストの郵便回収は大変そうでした。

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クランクの始まり、西明寺交差点。

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すぐに次のコーナーです。

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コーナーの周囲は道路用地が確保されていて空き地だらけです。
ラフなパノラマですみません。

OTK5_14Saimyouji.jpg
西向きの写真。左がショートカット道路、右が西明寺です。
江戸時代初期にはまだ東海道は整備されておらず
中原街道が江戸と西方を結ぶ主要道でした。
西明寺境内には徳川将軍家が駿府との往還や、鷹狩りなどで西行するときに
休息所として整備した御殿/本陣が1608年に造営され、
小杉御殿と呼ばれていました。
ただ、徐々に使われなくなり第4代将軍家綱の時代に廃止されました。
現在西明寺の南、小杉郵便局の先の中原街道沿いに陣屋の門が残っています。
(写真は取り損ねました。陣屋門はGoogleストリートビューでは
 ぼかされて見えません。)

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西明寺門前を過ぎると拡幅部分に入ります。
北側には古い家屋が残っています。

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東急東横線のガードをくぐります。
「多摩川園第2架道橋」と高架の下に書いてあるように見えるのですが…

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現道の東京丸子横浜線と合流します。
旧街道はここをそのまま直進し、向かい側の細い道に入ります。
実は川向こう東京側の多摩川堤通りと東京丸子横浜線との交差点も
同じ”丸子橋交差点”です。
重複は意外にありそうで、多摩川沿いにはここにしかないようです。

OTK5_18MarukoST1.jpg
細いわりにやはりバス停がありますし、蕎麦屋もあります。

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児童交通公園入り口交差点、多摩川の堤防に行手を阻まれます。

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元の道なりにしばらく直進し、その先は丸子の渡しがありました。

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対岸のこのあたりに船着き場があってその先、多摩堤通りが
多摩川の土手から斜面を下ってに東急多摩川線の沼部駅北側に至りますが
それが旧中原街道の続きで、そのまま北東に進み有名なさくら坂を通って
環状八号線で現道の中原街道に合流します。
所々旧道がありますがほぼ現道を辿り、五反田で桜田通り/第二京浜/現国道一号線に
乗り換えて、高輪台・赤羽橋通って虎ノ門交差点で明治の中原街道は終わります。
江戸初期にはその800mほど先の桜田門が追分だったようです。
中原街道については、ネットを検索すると学術的な考証や
実際に街道を歩き通した記録など沢山見つかると思います。

今回のルート

より大きな地図で 旧々綱島街道 子母口-丸子 を表示

神奈川宿から丸子までのすべてのルート

より大きな地図で 江戸期の旧々綱島街道 を表示

調べると調べるだけ新しいルートが見つかって
再度撮影に出かけた場所もあったりして
結構大変でしたが、面白い調査でした。
”旧々綱島街道”ということばがこれを機会に
皆さんに知られるようになったらうれしいです。

子母口〜2012.5.8撮影
武蔵中原〜2012.6.13撮影

-第8回 補足 今昔マップ-
posted by 禅芝zenseava at 12:00| 道路/計画道路・新道・旧道・街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする