2013年10月13日

旧々綱島街道 補足 今昔マップ

Sorry, this content is japanese only.
This article is about the talk of following the "Kyu-Kaido"(old highway,Via)
of the Edo period in Yokohama.

ニュースサイトで面白い地図サイトを紹介していました。
KonjakuMapWeb.jpg
-今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト -

古い地図をたどっていくと、現在の地図の上をカーソルが動いてくれるので
現在の場所が特定出来、年代のボタンを選ぶことで変化を確認出来ます。

内容が旧々綱島街道をフォローするのに丁度いいと思ったので調べてみました。
首都圏篇の地図で、時系列順に綱島街道の変化を追っていきます。

1896〜1909ー明治29年〜明治42年(明治39年測図)
まだ県道神奈川溝ノ口線としては指定されていない時代ですね。
1908年明治41年横浜鉄道という私鉄の貨車鉄道として開業した現在の横浜線が
整備中/計画中のような感じで載っています。

加えて、街道のあちらこちらで拡幅されたり平坦にされたり、
広い道と結ばれたりした場所があるのがわかります。
明治初期から、西洋化とともに個人使用の馬車や乗合馬車、人力車が登場し
より平坦で広い道の整備が望まれていという背景が有ります。
大正初期に東神奈川と綱島を結ぶ乗合馬車が開業していますから
このころすでに短距離の乗合馬車や個人の馬車が旧綱島街道を盛んに走っていた
と思われます。

始点から北に向かって見ていきましょう。
神奈川の街の真ん中、東海道との交差点に「5、3」と書かれたところが
現在の神奈川署前です。まだ川沿いの道はありません。

小机街道沿いには人家も多く、この道が県道神奈川溝ノ口線として
指定されたのだと思われます。
逆に東の山際の従来の街道と思われる道は細く描かれており、主要街道としては
廃れていたのかもしれません。
すでに小机街道から現在の東白楽を結ぶ道路が整備されています。
西白楽の西の文字のすぐ上にT地路がありますが、東横線の線路がまだ無いので
直接ローソンストア100の路地につながっているのがわかります。

妙蓮寺の仲手原広場公園辺り以外は現在の旧綱島街道のままです。
(もしかすると仲手原二丁目の妙蓮寺5号踏切あたりから北の旧々道も
東横線の線路上ではなく現道と同じルートだった可能性がありますね)
妙蓮寺郵便局の北のファミリーマートの横に避ける道の痕跡も見えます。

現在の菊名駅の南側は、山側の蓮勝寺わきではなく、下の平らな道が造られて
菊名駅前の松屋の交差点と接続しています。

松屋の角から菊名駅の西側を結ぶ道や、現在ダイコクのある
広めの行き止まりの路地から線路の西につながる道も描かれています。
菊名から田んぼの中をほぼ直線で現道の綱島街道に近いルートで大倉山まで
結んでいる細い道がわかります。

区役所裏の旧綱島街道と現道の綱島街道を結ぶショートカットが
既に使われています。
大曽根までの広い道がすでに開通しています。
熊野神社方向に向かう山道は馬車や人力車には急すぎるので、
よりなだらかな道が山を開削して作られたのでしょう。

大曽根から綱島大橋にかけては私が歩いた通りの道になっています。
大綱橋を渡った後すぐの交差点からは、左に折れて現在の綱島駅を通るルートも
見えますが、直進してバス通りに出る道が主要な道だったようです。
来迎寺の脇を通って、その先、吉田口のあたりから先は全く痕跡が有りません。
一瞬川の上を通ったりしますね。大規模な洪水や治水工事をしたのでしょうね。
高田の交差点あたりで左に折れて、現在の106号線になる道ももうあって
こちらが太く表示されています。
高田駅の辺りは、一時こっちが旧道かなと疑っていた高田駅ロータリーと
東のセブンイレブンの間にある路地が当時の主要道だったようですね。
(探査のとき知らずに通りました。)
セブンイレブンの広い敷地には浅間さんがあったのですね。
蟹ケ谷バスロータリーの先の旧道も見えますが、今の106号に近いルートに
ウネウネのルートが作られています。
子母口のあたりは旧道が分かり易いですね。
終点の丸子ですが、まだ丸子橋がありませんね、丸子ノ渡になってますね。
というか、多摩川を辿ってみると、まだ六郷橋しか掛かっていません。
あとはみんな渡しです。

1917〜1924ー大正6年〜大正13年(大正11年修正)
海岸線は埋め立てで大幅に変わっています。神奈川台場も分からなくなりました。
横浜線が出来たので、交差するあたりの道が少し変わっています。
樽町郵便局の先で左に折れていた道が真直ぐにその先につながっています。
大綱橋を渡った先の交差点から、現在と同じように本通りまで真直ぐ
つながりました。
来迎寺のあたりから吉田口まで現道のルートが出来上がっています。
地図が無いので分かりませんがその先は明治39年の道とおそらく同じルートでしょう。
子母口住宅の横から子母口住宅入口交差点までショートカットされました。
同時に拡幅もされたのか千年交差点まで道が真直ぐになっています。
多摩川堤防建設と河川敷拡大の為か、川の周囲の民家や道路が無くなっています。

1927〜1939ー昭和2年〜昭和14年(昭和7年要修)
東海道国道1号線に市電が走っています。
滝の川沿いの道が国道1号線とつながっています。
東横線が開通して小机街道との交差する場所に新太田町駅が出来ています。
市電の終点が六角橋に出来て、そこと東神奈川を結ぶ道も出来ました。
六角橋辺りの街道はその道に飲み込まれています。
白楽駅北の、旧綱島街道と東側の旧街道とをむすぶ道には踏切があるようですね。
開通当時の東京横浜電鉄線には小さい踏切が相当たくさんあったはずです。
仲手原広場公園辺りも線路をさけるように、現道のルートになっています。
この先は綱島まであまり変わりません。
吉田口から高田まで現道とおなじ真直ぐな道が出来ています。
あとは、多摩川を渡ったさきに目黒蒲田電気鉄道(現在の東急多摩川線)が開通したので
少し道筋が変わっています。街道脇に沼部駅があります。
綱島街道とは関係ありませんが、東横線には武蔵小杉駅は無く、
南武線の武蔵小杉駅は府中街道のわきにあります。
日吉より北側では街が発展しているのは東横線の西側のようにみえます。

1944〜1954ー昭和19年〜昭和29年太平洋戦争終結直後(昭和20年部修)
現道の国道1号線第二京浜が東神奈川までの市電の延長上で建設が
進んでいます。
東神奈川と浦島丘の間はまだ細いままで、横須賀線の跨線橋も工事中、
都内の池上のあたりも未通です。

菊名からの綱島街道は、大倉山まで田んぼの真ん中を真直ぐ結ぶルートになりました。
樽町郵便局から北が新しいルートになって、大綱橋も現在の場所に移っています。
綱島駅から先に東横線に沿った新しい綱島街道が出来ました。
(日吉駅の北、矢上川の橋あたりから木月四丁目交差点辺りまで若干現道と
 ルートが違うような気がします)
中原街道と直交したあと、丸子橋が掛かりました。

綱島街道ではありませんが、東急東横線の大倉山ー綱島間の線路を西側に
移設している最中なのか線路が分岐して2本描かれています。これは初めて見ました。
東横線が渡る多摩川の河川敷に、楕円の点線が有りますが、これが
多摩川スピードウェイでしょう。

1965〜1968ー昭和40年〜昭和43年(昭和41年改測)
国道1号線開通し、それと接続するように、浦島丘と菊名との尾根沿いを結ぶ、
現道の綱島街道ができました。
新幹線が建設されて、横浜環状二号線の一部で新横浜駅と綱島街道を連絡しています。
(横浜上麻生線の篠原池と新横浜駅を結ぶ道路が拡幅されています。
 当時は横浜方向から連絡する重要な道路だったのですね)
大倉山の、熊野神社に向かう交差点の辺りの線形が改良されて緩やかになっています。
子母口綱島線のほうですが、蟹ヶ谷の山の上に市営四方嶺住宅や公務員宿舎が
建ちはじめています。
山の上の横浜市と川崎市との市境から北の矢作川の橋まで、拡幅されグネグネが
無くなった道路になっています。

1975〜1978ー昭和50年〜昭和53年
市電が無くなった以外、ほとんど今と変わらなくなりました。

綱島街道以外の場所も比べてみればいろいろ変化していて
ちゃんと調べると面白いと思いますよ。
posted by 禅芝zenseava at 12:00| 道路/計画道路・新道・旧道・街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする